第八話【目醒めのサインの始まり】

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「頭ガチガチの理系男子が、覚醒して宇宙の真理を悟り、ヒーラーになった話」

 

第八話 目醒めのサインの始まり

【前回までのあらすじ】

社会人として希望を胸に働き始めた僕。本配属された研究室は常に悪口、陰口、嫌味、嫉妬、虚栄心、悲壮感、プレッシャーが渦巻くような修羅道・地獄道だった。そこで必死になって働き、結婚、第一子誕生を経て、気付けば10年が経っていた。

【目醒めのサイン】

家族に支えられながら必死に激務に耐えていた僕。

ある時、それは休日でしたが、めまいがしてそのまま嘔吐してしまったことがありました。

めまいは寝ていてもずーっと続いていて天井がぐるぐるするし、音にも敏感になっていてすごく気持ちが悪いのです。

普段は気にしないような、外を走っている車の音でさえ気になり、子供の泣き声は鋭利な刃物のように耳の神経を刺激しました。

病院に行ったところメニエール病の疑いがあると言われました。一時期は難病に指定されていた疾患です。

私の場合はその後、投薬によって徐々に改善していきましたが、身体が悲鳴をあげていることを見て見ぬふりをしていました。

働いて働いて働いて、ある時帰ろうとしてロッカーについて着替えようとした瞬間、自分の中から

「もういいんじゃない?」

という声が聞こえたのです。はっきりと。

最初、えっ?!と思いましたが、何がもういいのか、自分の中ではわかっていたのです。

それは悲劇のヒロインをやめること。

自分ってなんて不運なんだろう。でも、めげずに頑張ってえらいでしょ?誰より遅くまで働いてすごいでしょ?努力してて頑張っている自分すごいでしょ?

急な案件やトラブルが来て、うげーってリアクションしてるけど本当は自分を追い込むの好きだからうれしいんでしょ?頼りにされたいんでしょ?

そうゆう在り方を終わりにしてくださいというメッセージだったのです。

僕はエゴ=自分だと思って暮らしてきました。

でも人生の大事な選択の時には、なぜかふとこっちの方がいい気がするとかそういった感覚というものがあることには気付いていました。

今回の、もういいんじゃないという声もそれに近い感覚でした。

なんだ、自分で求めて自分を追い込んでただけね!

確かにピンチに陥るとなぜか燃えてくる感情みたいなものがあって、実は自らを追い込むことでエクスタシーを感じていただけなんだと気付いたのです。

とんでもないドM野郎です。

確かにこれまでプレッシャーはありましたが、プレッシャーをかけられているというのは、例えば会議中などその瞬間だけであり、それ以外の時間は直接プレッシャーがない時間の方が多いのです。

自分でその人を思い出し、常にプレッシャーを感じていたのです。

会議では確かにプレッシャーをかけられたかもしれませんが、それ以外の時間はその記憶を自分で引っ張り出してきて、自分にプレッシャーを与えていたのです。

これは晴れの気持ちいい日に、わざわざ自分でドブにはまって嘆いているようなものです。

自分で自分の首を絞めていただけなんだ。そして自ら地獄道、餓鬼道、修羅道にはまっていただけだったのです。

すべて自分の選択です。そして僕の世界はすべて自分の望むままだったのです。

そう思ったら気持ちがスーっと楽になったのを覚えています。

今の自分は過去の自分が望んだ自分です。

過去の自分が望んだ思った自分に、既になれているのです。

辛い状態ですが、それも自分が望んだものでした。それを認めることができました。

だから今の状態から抜け出して、未来を変えたいと思ったら、今、この瞬間から自分を変えればいいのだと気付きました。

その日から僕は少しずつ自分で自分を追い込むのをやめました。

仕事の期日を、少し余裕をもって回答したり、他の人に仕事を頼むことをし始めたのです。

それまでは他の人に悪いから仕事を自分で抱えてしまっていました。

しかし人に頼るという行為は、相手に悪いと思っていましたが、本当は相手を信用する行為なんだと気付きました。

私自身は人から仕事を頼まれても悪い気はしません。私を信用して任せてくれていると思えばうれしいくらいです。

でも自分は他の人に仕事を頼むのは悪いと思っています。これは矛盾であり、相手を信用していなかったということになります。

ですので、仕事を頼む、何かをお願いするという行為は、コミュニケーションであり、好意の交換であることに気付きました。

そうしていく内に仕事にも余裕が生まれ、以前より我武者羅にやらなくなったのにも関わらず、仕事がうまく回るようになって、実績も良くなっていきました。

むしろ我武者羅に努力しない仕事の方があっさりとうまくいったりしました。

執着が外れたのかもしれません。

努力しなくてもうまくいく時はうまくいく。

これまで成果を出すためには努力しなければならないという観念があったのですが、そのような観念も徐々に崩れ去っていき、意識が軽くなってくるのを感じました。

外の世界、環境、人は全く変わっていないのにも関わらずです。

それから驚くべきことに、部署の人の異動や新しいプロジェクトがでてきて、仕事における障害だったものが自然となくなり、どんどん自分の働きやすい環境が整えられてきたのです。それは魔法のような体験でした。

ここでの学びは、未来を変えたければ今の自分を変える ということです。

現実を変えるために日々格闘するのではなく、自分の思考やマインド、物事のとらえ方を変えていけば、それに応じて勝手に現実が変わっていくということです。

自分を変えるのが先で、現実はその後に変わっていく。このことを身をもって知りました。

これは引き寄せの法則でも言われていることです。

要するに引き寄せの法則も、類は友を呼ぶという諺も、同種のものを引き付けるという法則に基づいた現象なのです。

僕は昔から人の発している雰囲気に敏感で、その人が怒っているのか、悲しんでいるのか、うれしいのかというのが、言語を通してではなく、感覚で感じとることができました。

ですので人のイライラや悲しみによって自分もイライラしたり悲しくなってくるということがよくあったのです。

これは音波の共振と同じだと言えます。

おそらくそういった雰囲気、気、波動には音波・電磁波と同じように様々な波長領域があり、感情から発せられる、怒りや悲しみ、喜び、愛する気持ちはその振動数が異なっているのだと思います。

人がそのような気を発している時、それは波のように広がっていき、同種のものを磁石のように引き付けるのではないでしょうか。

ついている人は楽しい、うれしいという振動数の気、波動を発しているため、ラッキーな出来事が引き寄せられ、自分のことをついてないと思っている人は、ネガティブな感情の波動を発して、ついてない出来事を引き寄せるのです。

それは目には見えないのですが、万有引力のように常に働いているものかもしれません。

自分が発したものは、同種のものを引き付ける 

これはまだ科学では解明されていない宇宙の法則だと思うのです。

【次回予告】

自分の意識の変化によって、現実が徐々に好転してきた僕。

この時は知る由もないのだが、僕の人生を激変させるとてつもなく大きな試練が僕を待ち受けていたのである。。

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