第十話【はじめまして 真我さん】

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「頭ガチガチの理系男子が、覚醒して宇宙の真理を悟り、ヒーラーになった話」

 

第十話 はじめまして 真我さん

【前回までのあらすじ】

心臓病の息子が生まれ、無事に生まれた安堵と、これからどうなるんだろうという不安でいっぱいの僕。

息子の存在が僕の価値観を大きく変えようとしていました。

【はじめまして 真我さん】

息子が生まれた後、精密検査を行うことになりました。

検査の後、息子の身体の状態や今後の治療方針について、先生から話がありました。

息子は先天性心奇形であり、心臓の構造が通常と大きく異なり、通常であれば一方通行である血液の流れが、心臓で入り混じっているのです。この状態はチアノーゼと呼ばれる、定常的な酸欠状態を引き起こしています。

この疾患に対する現代医学の対処方法は、グレン手術とフォンタン手術です。

グレン手術は上半身側の下大静脈を、直接肺動脈につなげる手術です。

フォンタン手術は下半身側の上大静脈を肺動脈につなげる手術のことを言います。

段階的に上下の大静脈を直接肺動脈につなげることで、静脈の血液をすべて肺に送り、肺静脈から帰ってきた酸素を含んだ血液を心臓から全身に送り出し、血液循環を一方通行にすることができます。

通常であればグレン手術は生後6か月程度、フォンタン手術は1歳~2歳で実施されます。

単心室症全体で、フォンタン手術未実施の場合、10年後の生存率は40%に満たないですが、フォンタン手術をすれば20年後の生存率が70%程度にまで上がります。

ただし息子の場合は、単心室症に加え、肺動脈閉鎖症、総肺静脈還流異常、房室中隔欠損症もある状態であり、体重が増えて、手術を乗り切れる体力がついた後に総肺静脈還流異常修復とグレン手術をする方針で治療を進めるようでした。

コロナウイルスの萬栄により、PICUにいる息子との面会時間は一日に1時間だけと制限されていましたが、息子と過ごす時間はかけがえのない時間でした。

子供はPICUに入ることができないという規則があり、3歳の娘は息子に会うことができませんでしたが、写真や動画を見て赤ちゃん可愛いと言って喜んでいました。

担当医師さんや看護師さんの協力もあり、窓越しに面会させていただく機会もあり、娘はすごく喜んでいました。

自分がお姉さんになったことが嬉しかったようで、私が抱っこしてあげるーと意気込んでいました。

最初は息子に哺乳瓶で母乳をあげていたのですが、ここで問題が生じました。

息子のCRPという炎症指標の値が急上昇したのです。

原因は腸の炎症のようでした。下痢や血便が出ることもありました。

食べ物経由で母乳に含まれた物質にアレルギーがあるのではないかということで、母乳ではなく、大豆由来のミルクを飲むようになりました。

しかし息子の腸はとても敏感で、十分な栄養を取ることができず体重は徐々に落ちていきました。

3キロ近くあった体重は2キロを下回るまでに落ち、普通のぷっくらとして赤ちゃんのイメージとは違い、やせ細っていました。

僕も妻もどんどん体重が落ちていく息子を見て不安でいっぱいでしたが、息子を見ている内に自分の中で変化が出てくるのを感じていました。

最初は息子の心臓病のことを、欠陥のように見ていたのです。

なんてかわいそうな息子というように。

これほど重症の心疾患になる確率はおそらく0.1%に満たないでしょう。

どうしてうちの子に限って。。。

そんな思いにかられていました。

 

これまでの僕は、どちらかというと仕事を優先させ、遅い時間まで働いていました。

しかし息子の誕生を通じて、これまで僕は本当に自分の人生を、家族を大切にして生きてきたのかと疑問が生まれました。

僕はこれまで、本当の意味で人生を大切に生きていなかったと気付いたのです。

いつの間にかすべてが当たり前になってしまっていたのです。

そして仕事にしろ、経済的なことにしろ、家族のことにしろ、もっと、もっとという意識や、あとあれがあれば完璧なのになーと欠乏感と欲にとらわれて生きていたのです。

そのことを息子は教えてくれました。

そして息子を見ている内に、心臓病も含めて息子なのだと思いました。心臓病は個性のひとつです。

息子は心臓病ですが、それも含めて息子であり、そのままで何も不足しておらず、完璧なのです。

そう感じたとたん、可哀そうという意識がなくなりました。

息子は重度の心臓病ですが、懸命に生きていました。

一緒に過ごしている時間は、心臓病ということに囚われる必要はなく、ただ純粋に、大切に、その時を楽しめばいいのだと悟りました。

おそらく手術が完璧に成功したとしても、普通の人よりは長くは生きられないでしょう。

しかし今息子と過ごしている時こそが、かけがえのない至福な時間でした。

そうゆう時間を大切にして生きていこうと思いました。

そのような意識になってから、僕の胸がじんわり温かくなるのを感じていました。

言葉にするのが難しいのですが、心臓のあたりがじんじん振動していて、それが全身に広がっていって、何とも言えない幸福感に包まれるという感覚です。

そのような状態になったことはこれまで一度もありませんでした。

その状態では、思考が働いておらず、ただボーっとしていて、ただ感じているだけでした。

いつも自分は頭の中でぐるぐると自問自答したり、過去を憂いたり、未来を心配したり、あーでもこーでもないとおしゃべりをしたりしていました。

しかし、そのじんわりと幸福感に包まれている状態では、頭の中のおしゃべりが止まることに気付きました。

それがすごく気持ちよく、慈悲や思いやりの心が全身に広がる感覚です。

自分の中に別の領域があって、そっちにシフトしている感覚がありました。

 

どこで聞いたのか忘れましたが、僕が物心ついた頃から、覚えている言葉があります。

それは、苦難・困難というのは、それを乗り越える準備のできている人にしかやってこないという言葉です。

つまり自分にやってくる困難というのはすべて、自分に乗り越えることができるからやってくるということになります。

妻も僕も、息子の誕生がきっかけとなって大きく変わっていきました。

妻はこれまで普通の会社員をしていましたが、起業すると決め、何やら準備を始めていました。

僕も、これまでは会社に定年まで勤めて、、と考えていましたが、会社に拘束されている時間がもったいないと感じ始め、自分の本当にしたいことは今の仕事なんだろうか、このまま会社の歯車として自分をすり減らしながら働き続けることに疑問を感じ始めました。

そして、自分とは何かという、大学生が陥りそうな答えのない問いが、再燃してきたのです。

そしてこの胸の中のじんわりとした感覚に答えがあるような気がして、そのような体験に関する本を読み漁りました。

そして1冊の本に出会ったのです。

それはヘルメス・J・シャンブ氏著の「”それ”は在る(”That” is)」という本です。

この本は、在り方について、探求者と師が問答し、深めていくという内容です。

その中の一節をいくつか紹介します。

偉大なる〈在る〉は、何も言わない。

ただ完全に自己充足しており、完璧に自信の愛とその至福で満たされている。

〈在る〉は完璧であるがゆえ、やり遂げるような目的なども存在しない。

それだけが真実なのだ。」

「最も大切なのは、思考は〈本当の私〉ではない、と知ることなのだ」

「思考または想念で成り立つ〈自我〉なのである。

 なぜなら、〈真我〉は思考しないからである。

 〈真我〉は、「私」とは言わない。

 〈真我〉は、ただ〈在るもの〉だ。」

これを読んだとき、これだ!と思いました。

この本の中に、僕が感じていた幸福感に満たされる感覚の答えが書かれていたのです。

それは〈真我〉の片鱗に触れた感覚だったのです。

僕は、これまでの自我にまみれて、まみれまくった状態から、初めてそれに気付き、そこから抜けようとしていました。

覚醒のスタート地点に立ったのです。

 

【次回予告】

胸からじんわりと全身に広がる幸福感を感じ始めた僕。

それは自分でコントロールできるものではなく、不意に訪れるものであった。

もっと深く探求すべく、色々と試していくことになる。。

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