「頭ガチガチの理系男子が、覚醒して宇宙の真理を悟り、ヒーラーになった話」
第十一話 覚醒の深まり

【前回までのあらすじ】
胸の奥からじんわりと広がる、言葉にならない幸福感。
思考が止まり、「ただ在る」という感覚に触れた僕は、
それが〈真我〉の片鱗であることを知りました。
覚醒のスタート地点に立った僕は、
そこからさらに、自分の内側を静かに見つめていくことになります。
【覚醒の深まり】
〈真我〉の感覚に触れるようになってから、
世界が大きく変わったかと言われると、そうではありません。
相変わらず朝はやってきますし、
病院にも行きますし、仕事もあります。
洗濯物は溜まりますし、ご飯も作らなければなりません。
やること自体は、何ひとつ変わっていませんでした。
けれども――
世界が、ものすごく静かになったのです。
外の音が消えたわけではありません。
むしろ、聞こえる音は増えているようにさえ感じます。
人の声、足音、風の音。
それらが、以前のように騒がしく感じられなくなっていました。
不思議なことに、
周りの人たちが、とても優しく見えるようになったのです。
看護師さんの何気ない思いやりの一言。
職場の人の言葉にはしない優しさ。
これまでは意識にも上らなかったようなことが、
胸の奥に、すっと染み込んできます。
世界が優しくなったわけではありません。
おそらく、
僕の受け取り方が変わったのだと思います。
ある日、職場の長い廊下を歩いているとき、
ふと自分の足取りの変化に気づきました。
僕は、もともとせっかちな性格でした。
無駄を嫌い、早く、効率よく、最短で進もうとしてきました。
歩きながらすべてを効率よく済ませようと、ぐるぐる考えていました。
しかしその日は、
全く違いました。
ゆったりとした足取りで、心が非常に落ち着いていて、思考が全く浮かんでこないんです。
本当に存在していることをただ気持ちよく感じているという感覚。
せっかちに急ぐ衝動も全く湧いてきません。
窓から差し込む光が、床に模様を描いていました。
外では、木々が風に揺れていました。
ただそれを見ているだけなのに、
胸の奥が、じわーっと至福で満たされていくのを感じました。
「今、この瞬間のすばらしさを味わいたい」
そんな感覚が浮かんできました。
木漏れ日も、
揺れる葉も、
自分がここに立っているという事実も。
すべてが、
とても尊く、かけがえのないものに思えたのです。
そのとき、ふと、
禅の言葉を思い出しました。
悟る前は、薪を割り、水を運ぶ。
悟った後も、薪を割り、水を運ぶ。
まさに、その通りだと思いました。
悟ったからといって、
突然、特別な人になるわけではありません。
悟ったら、
・現実に大きな変化がいきなり起こる
・何もしなくてよくなる
・別次元に行く
――そんなことは、起こりませんでした。
この言葉が伝えている本当の意味は、
そういうことではありません。
覚醒とは、
現実が変わることではなく、
現実との向き合い方、捉え方が変わることです。
幸せってすでにここにあったんだって気づくことです。
同じ毎日を生きていても、
無意識でやっていたことを、
意識的に、感謝とともに行う。
それだけで、
体験の質が、まったく変わりました。
覚醒した後も、
洗濯をします。
ご飯を作ります。
家族と向き合います。
同じ一日を生きています。
何も変わっていません。
けれども、決定的に違うのは――
「我慢して周りに振り回される自分」ではなく、
「それを選んでやっている自分」になったということです。
同じ行動でも、
そこに流れるエネルギーが、まったく違います。
人生を変えるために、
別の誰かになる必要はありませんでした。
今の自分のまま、
ただ、内側の意識が整っていくだけでした。
だからこそ、
特別なことが起きなくてもいい。
日常が続いていていいのです。
その中で、
感じ方が、静かに変わっていきます。
それこそが、
本当の「目醒めの始まり」なのだと、
このときの僕は、確信していました。
【次回予告】
息子との対面の時に、突然雷に打たれたような衝撃が、、
これまで当たり前だと思っていた自分の観念が音を立てて崩れていく。
次回、
「破壊と再生」
――崩れ始める〈私〉との対話が始まります。


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