第九話【最高のギフト】

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「頭ガチガチの理系男子が、覚醒して宇宙の真理を悟り、ヒーラーになった話」

 

第九話 最高のギフト

【前回までのあらすじ】

10年に渡り我武者羅に働いてきた僕。無理が祟って心身の不調として現れてきたが、自分の内面からのメッセージによって、我に返ることになる。

 

【最高のギフト】

自分内側から出てきたメッセージによって、徐々に力が抜けてきた僕。

これまでのように自分を追いこみ過ぎず、無理をしないと決めたのでした。

人の評価というのは、その状況やタイミングによってコロコロ変わるものなのです。

調子がいいときは持ち上げられ、うまくいかないことがあるとあいつはダメだと言われてみたり。

そんなコロコロ変わる他人の評価に一体何の意味があるのでしょうか。

他人の評価ばかり気にして、自分を犠牲にして、他人に従って、それでうまくいかなかったら責任は他人がとってくれるのでしょうか。責任はだれも取ってくれません。

結局自分の人生に責任を持つのは自分です。死ぬときに後悔しても遅いと思いました。

それから僕は可能な限り、自分のしたい仕事・研究を優先するようにしていきました。

ある休日、妻の誕生日プレゼントに化粧水を買おうと思ってデパートを訪れた時に、ある商品に目が留まり、新しい材料のアイデアを思い付いたのです。

コンセプトの段階ではそんなの無理だとか、やったけどうまくいかなかったとか言われていたのですが、地道に検討を進めることによってブレイクスルーを起こすことができました。

そして従来とは全く異なるコンセプトで、新しい材料を作り出すことができたのです。

それは他部門からも非常に注目されるもので、他部署においても私の発明した材料のベースが、取り入れられることになり、材料の特性を大きく向上させることができました。

おそらく今までの他人の評価を気にして、我武者羅に働くやり方をしていたら、新しい材料は開発できなかったことでしょう。

僕は開発チームのリーダーとして、世界的な大企業とのプロジェクトも任せられるようになりました。

仕事は順調で、心身も充実していくのを感じていました。

そして、第2子の長男が妻のお腹にいることが分かったのです。

すべてがうまく回っており、喜ばしく、自信がみなぎっていました。

責任感も増し、日々楽しく働いていました。

そして、お腹の中の子供が7か月を迎えたある日のことです。

妻が病院の定期検診に出かけてエコー検査をした際に、ちょっと気になることがあるから念のため大きい病院で検査してみてと言われたらしいのです。

後日、妻が大きい病院に行って検査を受けました。病院にいる妻から仕事終わりに電話がかかってきて、これからお医者さんから検査結果を聞くというのです。僕は電話越しに、検査結果を妻と一緒に聞くことになりました。

お医者さんから検査結果が話されます。

「お子さんは先天性複雑心奇形です。それもかなりの重症です。」

僕はお医者さんが何を言っているのかわかりませんでした。

え、何かの間違いでしょ?

意味としては捉えられていましたが、現実として受け入れられていなかったのです。

話をさらに詳しく聞くと、心臓が右側にあることで、心臓の形状がいびつとなり、心臓をつなぐ血管も通常と大きく異なるのです。息子の場合はかなり複雑なものでした。

2つの心室が繋がっており、単心室。心房も繋がっており、弁が一つしかありません。これは静脈と動脈の血液が入り混じることになってしまい、血液の逆流や血中酸素濃度の低下を引き起こします。

また、心臓から肺に向かう血管が欠損している肺動脈閉鎖症。心臓から肺に流れる血管はないので、動脈管という赤ちゃんの時にしかない血管を投薬によってずっと開かせて、動脈管を通じて肺に血液を送るしかないとのこと。

投薬は赤ちゃんにとって副作用もあり、肝臓に負担もかかります。

他にも総肺静脈還流異常。これは通常であれば左心房に返ってくる肺静脈の血液が、上大静脈に大きく蛇行して合流しており、この時点で酸素を含んだ血液と静脈の血液が交じり合うことになります。かなり心臓に負担がかかるので心不全のリスクがあります。

そして無脾症。脾臓という臓器がなく、免疫系が弱くなります。

これだけ難しい名前の病名を言われ、訳も分からず放心状態で帰宅しました。

妻も僕も、不安にかられ心臓病について色々と調べていきました。

お医者さんに、見てもケースバイケースで違うから見ない方がいいと言われていた心臓病の赤ちゃんのブログも見ていましたが、息子ほど重症のケースは少ないように感じ、似た症状の子がいても生後数か月でなくなっていたりと、さらに不安になるような感じでした。

胸がズーンと重く、呆然とした状態がしばらく続いていました。

お腹の子は体重がなかなか増えませんでしたが、それでもお腹の中で懸命に動いていました。

頑張って動いている息子に、おーい、パパだよー と声をかけました。

元気に生まれてほしいけど、お腹の中だったら栄養ももらえるからとりあえず大丈夫。でもずっとお腹の中にいるわけにはいかないし。。

複雑な心境のまま、1日1日が過ぎていきました。

そしてその日は来ました。

ある夏の夜、僕が寝ていたら妻に起こされました。

陣痛が来たみたい。

寝ている娘はお義母さんに来てもらって見てもらうようにしました。

 

陣痛が来たというのに、起こしてもなかなか起きなかったというへっぽこ夫と妻は病院に車で向かいました。

重度の心臓病の赤ちゃんの受け入れが可能な病院は、私が住んでいる県には1つしかなく、早くとも家から車で40分くらいかかります。

小高い丘の上に立っており、ちょっとした夜景を見ることができます。

妻は道中めちゃめちゃ痛がっていましたが、病院に向かう途中で坂を登っている時だけ、夜景きれいと言っていました。

すごいな、この人と思いました。

病院につくと、妻は痛みで歩ける状況ではなく、車いすを持ってきてもらって処置室に連れていかれました。

コロナもあり、僕の立ち合いは許されておらず、外のソファで待っていましたが、まだ生まれそうにないということで、一旦帰った方がよいと言われ、僕だけ帰ることになりました。

そして次の日の早朝に電話で生まれたと連絡がありました。

すぐに病院に行き、妻と面会しました。

ママちゃん、よく頑張ったね ありがとう と伝えました。

しばらく待った後、息子と面会できることになりました。

PICUという集中治療室にいた息子は鼻に酸素チューブをつけ、細い腕や足に何本もの点滴をされていて、天使のような顔をしていました。

よく頑張ったね、生まれてきてくれてありがとう。

心臓病でも、小さくても、懸命に生きている息子が僕の小指をぎゅっと握ってくれたのでした。

【次回予告】

心臓病の息子が生まれてきて内面に大きな変化が生じてきた僕。

自分の人生を再度見つめなおしていくことになる。

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